翻訳が発達した今、言葉の壁について考えた。
言語。育ってきた環境や歴史国民性に大きく関わり将来話す言葉が決まる。従って、人々には様々な問題が壁として重要視されてる。
もはや誰しもが学び、身につけるべき自身の登龍門、生活の一部であると、であるべきと思います。
しかし、語学勉強にはたくさんの情報と勉強ツールがでてたりそれを精査して自分にあった方法をみつけるしかありません。
何より、何から手をつければ良いかわからない始末ですよね。
こんな考えでは話せませんもんね。話そうという意思先行による欲求より、話すために恥をかかず喋りたいという周りからの自己承認欲求みたいな欲が強大すぎます。
友達から以前言われたのは、「完璧主義な日本の皆は完璧じゃない自分に混乱してる。」と言われ、思わず納得しました。
話してコミュニケーションをとるより、大方は自己防衛して間違いを恐れたり、自己陶酔に陥る自身を恥をかかない方法を探したり。
わかります。
やはり一番の上達への近道は何事にも言えますが、そのプロの真似をすることだと思います。
どんなことでも土台になる基本は押さえておくべきです。
そこから応用を利かすはずです。
それが難しい人。人工知能にたよるなんか最善策とj対人ではなくsiriなんかいかがでしょう。
人工知能には羞恥心も生まれにくいでしょうし、スマートフォン片手に話してみるなど。
もしくは
自己流で行ける人、素晴らしいです。
間違いなく努力の賜物ですし才能もある人です。
私は生憎、後者ではありません。
しっかり物真似して自分色に変えてくスタイルでそれが私。
私の主観です。
正直、「間違えてもみんな、然程気にしてないから、どんどん挑戦しようよ!」
ってのはアクティブで元々できてた人で、それができてこなかった人なんかは無理難題で、それができなくて困ってたりする人がいるのは事実だと思います。
今の乾かない世代な人(生まれた時からものが揃っている世代)は
意味合いを重要視する合理的な人が多いらしいです。
頑張る意味を考えたり。
確実にものにできるかわからない努力は怠ったり、そもそもしなかったり。
なので
マインドコントロールする力をつけることが一番の得策だ!と、綴る間に気がつきました。
1日30分、
日本語を使わない、考えない。
どうでしょう?
きっと
「どう日本語を忘れるか合理的に教えてよ。」
や
「それができれば苦労しないよ。」
そうでした。
意味合いが大事でした。
「出来ない理由を教えてください。」