小室.kom.com

小さな日常に潜む怠惰と向き合うために。極端な暇に苛まれたとき、思い出してみてください。Hi there! I'm going to be uploading lots of info and pointless blog here.so If you need to get some rest,check my pages!stay tuned:)

2Kmの間にある小さな発見.kom.com

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私はこれを見ると綺麗な空だなって思うけど、空じゃないって思う人もいると思うわけで、じゃあ根底は何?って話題が上がれば、空なのか青なのか白なのかはたまた別の何かなのか。色んな答えが出るけど私は、今までこれは空って教えてもらってきた。でも空を「空」ってきめたのは人間。だけど、これは空じゃないって言ったら

「じゃあ何て呼べば良いか?」

なんて質問が飛べば、答えはそんなのは知らない。となる。無責任であろう。仕方がない。私は質問の提示者であり、質問の回答を求めている迷える子羊でもあるのだ。それでも知りたければ、Siri かGoogle先生にでも聞くと答えが待ってるかもしれない。全員が全員求める答えは返ってはこないけど。

だから私は今は自分の事を人間だと思ってるし、今はまだ一応、空は空って認識で良いと思っている。だっていつかは空じゃなくなってしまうかもしれないし、先の未来には空のない世界かもしれないし、もしかしたら既にここは、空のない世界かもしれないし。いつ変わるか先が読めないから空と思う。けど今日だけ、今日だけは「上」って言いたい気分だから縛られないで、ストレスフリーに「上」って言う。

上を見上げればこんなにも正直でわかりやすく、いつも「そこ」にいて、凛と生活してる君が好きなんだけど、今そんな君を見てる僕たち人間の足元は、巨悪で、複雑で、君と住む世界が違うよ。

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 今私達、何かが歩くここは私達であろう何かがもの(ゴミ)を置き去りにしていってる。(もしかしたらゴミという概念は私だけにしかなくてこれは貴重な資源かもしれないけど、)私はあのどこまでも続くような上が好きで、雲なんてのも好き。空や雲が好きな人は他にもたくさんいると思う。けどみんな都合の良いように写真に利用して良い顔を並べて、偽善者になるばかり。何ぞやの満たされない自己欲求のために、その場で快楽的欲求を発散させ、写真を撮る。綺麗な景色がこうやって写真として自己世界に残っていく。そんな無責任な事だらけで、その結果がいまを招いてて。でも無責任な人だけで構成されてないのが世界であって。ありがたいですね。責任感ある者がいて、そのおかげで無責任な人がいて、均衡が保たれるってわけですね。無責任のおかげで一丸となって奉仕活動に取り組んでおられる方もいて。本当に感謝の念でおっぱいです。

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そんなここではみんなが見てるようで見えていない景色はたくさんあるわけです。

「見えている景色が、その人が持つ唯一無二の世界」っていうのは至極当然なんですが、「見えているのに見ていない」です。今皆さんが何をしてるかわかりませんが、この記事を読んでくださる方は(ありがとうございます。)何らかの機械を通して、ネットを使っていると思います。私も外を散歩して、休憩をして、文字起こしにネットを使い勤しんでおります。私も携帯を眺める間は見えてない世界があります。外の世界です。

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外の世界は私達が何気なく過ごしている日常です。様々な出来事が傍観できたり主体となって起こったり。

ただでさえ、意識が散漫としていれば、(していなくてもですね。)毎日、目にする物や景色を意識しなかったり気づかない物があったりしますよね。「それがその人の世界」とも言えますが、それに加えてもう一つの世界が入ってきたわけです。

インターネット、ネットワークです。

それは人間の一部になりつつあるネットワーク。彼らと繋がっているからこそ、新しい生命っていうもう一つの人生を歩む時間が長くなったよね。って話で、「見えてるけど見なくなった」が今思ってることに適してるのかもしれない。インターネットってもう一つの自己世界であって内の世界です。目に入る外の世界は内の世界と混在してて。見えないものが増えたよね。(でもまあ、見えなかったものも増えたから結果論に過ぎないけど。)

ずっと共にしてきたこの外の世界に小さな内の世界ができて、元々そこに存在してたのかもしれない内の小さい世界はもう一つの私達を作って。

昨日見た外の景色でさえ無意識の範疇なら、それは人間の頭のデータには残らないんだろう。けど内の世界でみた無意識な景色は膨大な内の世界のネットワークの情報に埋もれてどこかに存在し続けるんです。そんなネットの世界が本物の人間の世界になってきてるのかなあ。

そして例えばインスタグラムとかにフォロワー数の多いインスタグラマーがネットに載せる景色は何十倍にも美しくて、艶やかで、綺麗に、色濃く残るように見えて。鮮やかな記憶として無加工という頭のデータフォルダに残るんだろう。本当は目に映る世界の方が綺麗なんだと私は思います。

そんな外の世界にはない内の世界を、妄想と欲求の目のレンズを通して、外の世界に求めてる様に感じます。無いものねだりな特性です。

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「無い物ねだり」というのは人間というチップに元々組み込まれたプログラムなんだと思う。便利が増えた昨今、欲なき欲は無限回廊に突入してありとあらゆる欲しい物が簡単に、身近なネットでも購入しやすくなって、外の世界に出掛けなくても、内の世界で済んじゃうようなそのぐらい便利になってます。常に近くで買い物ができれば、無いものがあると不安になり、理性がある者なら全く問題ないのかもしれませんが、理性を持たない者は拍車をかけるようにヒートアップして「ない物」への焦燥感が募ります。そして満たされない欲求の底がどこにあるかわからず、買い物を手軽にする。

「どうすればいいの?」

もちろん「知りません。自己責任です。」となっちゃうけど一つの解決策とすれば、

【十人十色】

ってことですよね。わざわざみんなが必要だから果たして自分も必要なのかというクエスチョンマークです。

それも上記の理性をコントロールさせることに通じますが。

いやしかし便利ですよね。こんな世界がくるんですね。車ももう少しすれば自動運転だけになるんですよね。実現すれば、飲酒運転なんて事件もなくなって。事故もなくなるのかな。

もっと街中にカメラが増えれば犯罪検挙率100パーセント!になるんですかね。ポイ捨てしたら罪刑なんてあったり。

もしかしたら、もう少ししたらブログなんかも喋った内容を記事にしてくれて、もしかしたらあげる技術があるかもしれない。いや、もうあるかもしれない。

自分の想いとリンクして、つぶやく。なんてアプリケーションが出るかもしれない。

わからないから色んなアイディアが出てくるけど、世界が二つ三つって増えようが、人間らしさはなくさないで生きてみたい。 

 

ゴミは弊害だよ。

 

これが言いたかったお散歩でした。

 

ところで、外にいると思うけど、最近、小さい生き物みなくなったなあ。

後でSiriかGoogle先生に聞いてみよう。

絶対に前と同じなんてないんだから、今からネットをもっと勉強して親友ぐらいにならなきゃ。

なんてこんな2㎞でした。