そうだ、徳光さんだった。
家族、友達、顔見知り、有名人、芸能人、先生、担当の美容師さん、行きつけのお店の店員さん、電車で居合わせた人。
そこらじゅうで名前が飛び交ってるのは至極当然だけど、今まで話してきた人の顔と声と名前と話したこともない人も含めた、声と顔と名前が一致しないで全部ごちゃまぜになってる夢のような現実が最近よく起こってる。
写真があって、メモがあって、動画もとれて、それを塊のカテゴリから再検索にかけて、自分でも複雑になって、その検索結果はどこかに仕舞い忘れたデータと自分の曖昧な断片的な記憶が重なって違う情報がアップデートされて本当が本当じゃなくなってる夢じゃない現実が最近よく起こってる。
「名前」って大切だなあって思う。いや、とっても当たり前とか思うけど、意識しなくなるじゃないですか。当たり前すぎて。
その人はその名前のために全うにいきるじゃないですか。
特別なことですし。じゃあ名前さえあればいいのかってなると、そうでもなくて。その人に関心があって興味が湧けば自ずと知りたくなりますよね。それが本来のコミュニケーションであって建前であっちゃ駄目なんだと。
全く興味ないぐらいなら、挨拶もしないでいいし、お礼だって言わなくていいと思うんです。
相手に関心ができたならそこで初めて、関わりを持つべきだと。
その何かしてあげた。とか、した。とかに見返りを求めてるから悪玉ができてるんです。
当たり前だよね。って思うから、もっと大切にしたほうがいいですよね。
複雑だからこそ簡素に。
当たり前だから必然だから、念頭に置いて、人として生きるために。
りょうくんだったね。
徳永って言うんだ。知らなかった。
自分に一番聞かせてやりたいから今日も文字興しに必死です。
いい天気とは言えないですね。