小室.kom.com

小さな日常に潜む怠惰と向き合うために。極端な暇に苛まれたとき、思い出してみてください。Hi there! I'm going to be uploading lots of info and pointless blog here.so If you need to get some rest,check my pages!stay tuned:)

2年間分の歯医者を2ヶ月間に凝縮。

終了。

今日で最後の親知らずも退治してもらって今回で本当の本当に最後の親知らずだ。

三本の親不孝ものを葬ってようやく親への隠し事もなくなってこれで晴れて、親への感謝を体現できるようにもなった。

ありがとう、親知らず。

三度目の正直という諺には、今では一般的だが、昔の人はこうした辛い経験やたくさんの人の思いが積み上げていまがあるのだろうと、経験を重ねて痛感した次第でもある。

ありがとうね。親知らず。

中々終わりの見えない徒労の旅などに嫌気が差してきたとき、そんな迷える子羊に一筋の光を射すべくして言葉を放ったのが「三度目の正直」度重なる辛い状況もを打破して乗り越えたりするということも学ばしてもらった。

ありがとうございます、親知らず。

今回は一人ではないけれども、同じ苦行を重ねたこんな友との友情、それに信頼、たまに激昂、そして裏切り。様々な状況も乗り越えてきた彼等との別れも寂しくなっていたものです。

さようなら、親知らず。

一本目、あいつが歯茎のなかにいることを知ったのはあれは確か春頃。

仕事上、3食の食事以外にも口に食べ物を入れる時間が非常に多く、それに拍車をかけるように甘党な私は、常に危険を冒しながら誘惑と葛藤しながら、敗れて食べていたのが運のつき。虫歯になってしまった。小さい頃は虫歯があったが、大人になって歯科医の先生にも「綺麗な歯ですね。」なんて、今となればいい餌食だったこともその頃はもちろん知らない。知るよしもない。何の根拠もないが、虫歯とは無縁だとも思ってた。根拠のない自信が強さと思っているのは虚栄心からである。少なくとも足りない脳ミソで考える私は、成長すればいつかきっと犯罪者の脳ミソもそうなのだと思う。根拠のない自信は危険である。

とまあこんな妄想を繰り広げるのは毎度のこと人間であって、そんな人間は忘れる生物であって、それを思い出した明くる日、強い痛みが来たときに「あぁ、俺は何をやっていたんだろう」そんな思いが胸の内からこみ上げてきて、一瞬で弾けた。

歯医者いこう。

痛みは強くなる一方だ。知らぬ間に、彼等は少しずつ私の生涯の相棒を蝕んでた。本当に大切な人ほど、近くにいる人だからこそ、人は怠ける。扱いが雑になってしまうことがある。それは人間の性とは言い切れないが、私以外にもいると思う。少なくとも知り合いにはいた。今回、私は家族よりも運命を共にしてる相棒達を無法地帯に野放しにしてた。裸で戦場に投げ出していた様なものだ。実に残酷だと思う。すでに手遅れだが、まずは手を打たなきゃと打診遅れの社会不適合者が急いで駆け込んだ歯医者には(実際には予約して二日後にいったが)やはり虫歯と診断された。そうであろう。しかしそこまで大きくもなく、最悪の展開からは何とか免れることができた。そこでテロリストの片鱗をみせたのが右下の親知らずだった。あいつに会えたこと、私は忘れない。私の歯並び横から威圧し続けて、追いやっていたこと、私は忘れない。少し顔を出していた親知らずが真横を向いていたこと、私は忘れない。それが左下にも全く同じように君臨するキングを忘れない。レントゲンをとったときに左上にもいた可愛い親知らずは斜めに生えていたが気にしない。抜いた下の親知らず達はもう知らない。あいつらも家族同然だが、気づかない。上の最後の親知らずももういない。一本目の話をしながら、今日抜いたはの痛みに耐えながら、私はリビングのベッドから痛みで起きたことすら気づかない、忘れていた。忘れることが人間である。何かやったつもりになるのが人間なんだと思う。本当は二本目の親知らずの話から三本目に至る経緯まで話そうとしていた私はもう覚えていない。

だから忘れることが悪いとは思わない。忘れたことでいまのこの文章を書いて、猛省する私がいることをまだ知らない。

だから人間は忘れる生き物なんだって

今日親知らずが教えてくれた。

 

ありがとうございます。親知らずさん。