変わらない。のもつ価値。
「小腹が空いた時とかってどこかに行きますか?」まあ近くに軽く食べに行ける場所があったりすればいいですよね、でも、それが面倒な方はもっとも家でGOHANとかできれば尚いいですけど、一番はコンビニ。なんて便利なところがあるじゃないですか。
まあそもそも家で小腹が空いて何か買って食べるとかって日々の生活が物語ってますよね。ちょっとした空腹感とかを食べて補うことは人間的本能に従順だと思う反面、理性が抑えられないってことだと思います。
そんな私も本能に逆らうことなく思うままに生きてきた人間です。
そんな近所のコンビニにはお酒を買いに行き時々、アイスを買いに立ち寄っていたんですが。最近は滅法行かなくなりました。
なぜ最近はご無沙汰かってもちろん予定を立てるようになってコンビニを使う時間がなくなってじぶんの生活からは必要がなくなったって感じです。
コンビニ行くひとが予定を立ててないんじゃないんです。重要です。
私の生活環境では1日のやりたいことを紙に出したりするとコンビニにある物が入らなくなったりもっと安いとこで買うようになった事が大きな理由。
もう一つ。よく目にするオーガニックや、健康問題の特集を拝読したのもあります。
ちらっと添付されている記載内容を確認してしまう。
特に、おにぎり惣菜などなどは一歩手を引いてしまう。まあ結果論だが、便利を求め過ぎて安全を懸念することを忘れて、日持ちする便利なものをとって生活する。
それが悪いのかは一概には言えないが、私は良くないと思う。
生まれてくる子供の発達面も気がかりですし、腐らない死体なんて不気味そのものです。
まあ、都市伝説かもしれませんが、
そんな腐らない食材は賞味期限なんてもはやそこすら疑わしい内容に言葉も詰まる。
あんなに膨張剤、安定剤なんて入ってたら、変わらないって思う方が健全だと思う。だから食材ロスがでて食材廃棄大国になってしまったんだとおもう。
まあそれはまた今度にでもしよう。
まあ他にもビールもスーパーで買う方がお得と思いはじめたのが。
そんな今日は買い忘れた無調整豆乳を求めコンビニへ。(これはいいものなのか。)
テーレーレーレーレーーーレーーーン!!「こんにちは!久しぶりですね!」
一年前に毎日のように会話していた
友人に限りなく近いスタッフがそこにいました。彼は中国からの留学生なのですが、とても波長が合い、仲良しなのです。
「今日はビールはいりませんか?」
「いや、朝からは飲みません。笑」
「そうですか。笑〜円になります。」
「〜円で。お願いします。」
「ありがとうございます。〜円のお返しです。」
この何気ないやり取りはやはり彼だからこそ落ち着くものがある。
例えマニュアル接客かもしれないが、彼の人柄は人に安心感を与え喜びをくれたりする。
そんな私の手に豆乳以外のアイスに囲まれていたのは
彼の笑顔の対価なのか、アンチオーガニックの二面性の私なのか。
まあ言いたいのは変えられないんじゃなくて常に毎日自分も自分自身も環境だって全てが変わりゆくのに変わらないことは事実上はできないが理想を並べた卓上の上ではできるということ。