日の出、日の入り、いつでも小麦
中々疲れが溜まってくると無意識に行動する事がその人の習慣でありますよね。普段はそこまで意識しないのに疲れてくると、なんて時ありますよね。
無意識で行動した記憶を意識的に思い出すことは少々難しい話で、ていうか物理的に無理でじゃあ疲れてくると、なんて話は最初から迷宮入りは確定しているので、私がもしも、
と疲れているときにハンバーガーかパスタが食べたくなるのは、無意識でも意識的な内容でもなくて、ただただ、好きってことが先程わかったので、自分の謎が解決した記念に一枚、この間のパスタを。
あぁ美しい。体から湧き出る衝動と言葉が漏れてくる。
湿気大国日本でも食べやすいパスタである。
フェデリーニ。
よく冷製もののパスタで使われるアレだ。
冷製に仕上げたジェノベーゼは日本人が出せる繊細なソースに仕上げている。
蝦夷のアワビに驚きなのが、花穂紫蘇。
シェフの感性が伺える。
地方にいけばこれはパスタ ジェノベーゼではない!なんて言われるかもしれない。パスタは温かいものだ!そんな意見もちらほら、いや、すごい数で聞いたりするが、果たしてその固定観念は如何なものか。地方にいけばそこの郷土色は歴史的背景とともに浮き彫りに上がってくる。必然というものだ。
そんな日本の大都会、東京。
これが食べたいというものがあればすぐ食べられる。今日は焼き肉で、明日はカレーにしようといった具合だ。毎日似たようなものを食べてる人からしてみれば驚きだ。昔何気なく視聴していたテレビに映っていたが、インドにいけば、365日カレーなのである。味は違えど、毎日カレーなのである。それが普通でそうじゃないことが普通じゃないのだ。
しかし、このパスタは東京でだしているパスタ。別にインスピレーションを受けたものがどんな形に仕上がろうと問題はないはずだ。
決してこちらはリグーリア州の伝統に重んじて、作りました。
トロフィエのジェノベーゼです。
なんて話とは違う。
よってこれは作ったシェフが思い描いた
2019年のこの梅雨入り前に食べたくなるような冷製のパスタジェノベーゼなのである。
この時期だからこそである。
こんな思いを頭に張り巡らせながら見てると、
食べたい、という人間的欲求を満たしたいと同時に不意にこの芸術を崩すことが私の人生には必要なのか?という疑問が浮かびそれこそが最大の難関でした。どこを崩そうにも少しでも違う人の手が加えられれば、崩れてなくなってしまう。しかしこれは食。食べてひとが笑顔になれる、それが彼の役割であり、きっと崩れることこそが本望である。
なくなったときに彼は喜びで鼓舞し、この短い命かもしれないが謳歌することであろう。
勝手に自己解釈したわけだ。
しかし
ここまでの完璧な量。計算された量。黄金比の量。いかにして、、、
いただきます。