業界から~世界から~減り続けるサービスマン
「いや~、きょう食べに行ったとこの店員さん気が利くし愛想もよくて楽しく食事できたよね!」
「それに料理も美味しいし雰囲気もよかったよね!」
「でもサービス料とかなんとかで思ったよりお会計高かったよね。」
「ね!じゃあこれなら近場のカフェとかでもいいよね」
「それか細かいサービスいらないからサービス料とかも請求しないでほしい~」
よく考えてほしい。たくさんの職種があるなかでも、わざわざサービス業というものに職を就くもの。
もちろん求めていないサービスに対して過剰な『お節介』にあたるような行動や言動は自粛するべきであるが、タイムリーに考えるなら安部首相の陰謀なのかはわからないが、一刻を争うような危機的状況を前にして、保守的な国の体制で人々を窮地にたたせるような国家には不信感が募るのもしかたない。
無理やり関連づけるようだけども、何が必要でなにかよくしたい。弊社のサービスで人々を喜ばせたい何て思うサービスマンからしたら一瞬一瞬が戦場みたいなもので、タイミングを間違えれば、満足に至らないかも知れない。早すぎても、遅すぎてもだめ。立ち食いのようなお店のコンセプトは
速い、安い(座って同じ内容を食べるより)、美味しい!
いちはやくお客に還元できるようなしっかりと根付いたコンセプトがある。
それに比べてどうだろう。個人でやられてるようのレストランやバーなどのような様々な用途でつかわれるお店には、
美味しいものをゆっくり。
だとか、
速く美味しいものを。
とか、
雰囲気とか
一人一人色ーんな事情や想いから使うみたいじゃないですか。じゃあその人々に合わせたスタイルはなんぞやとなると、やっぱり表で働くサービスマンが必要不可欠なのかなとか思うんですよね。
でも実際問題、表から少しずつ減っている。
理由はたくさんあるけど、ひとつは、キッチンスタッフの確立があって。
何年か前に店舗を増やしてきたオープンキッチンのようなスタイルのお店はオーナーシェフはじめ、少人数体制で経営するお店を少なくない。中には、全て一人でやるんだから驚きですが。
そんな苦労も相まって、表での仕事はレセプションだったりの予約管理やお酒を提供するものがいればいいんじゃないか。と言うスタイル。
全世界で一番になったNOMAの料理もそうだとおもう。
間違いなく、自動システムなどもしっかり根付いてきており、ファミリーレストランでも、自動システム導入も無視できなくなってきている。
それでもサービスにたいする、需要価値があがるのかな。とも思うけど、それは前記したシェフだったり、するのかなと思う。
料理を楽しみに来た人が料理もお話も造り出すエンターテイナーなシェフや料理人であるなら、そのうえない極上の時間である。では、サービスマンはどこにいくのかというと、隅っこ。とはいかなくても、選択の余地は狭まりよりプロフェッショナルな仕事を求められるすこし息苦しさも感じるのかもしれない。
ただ言いたいのは、
それじゃ少し寂しい。と言うことであった。