卓越した付和雷同の日本人
今は電車に乗る機会が著しく減ったから、よく見る公共機関の利用者による譲り合い。みたいなのがまだしっかり根付いてるのかなあと疑問に思いました。だって歩いてたり自転車に乗ってると感じる、少なくなってきたかなぁ。
まあ色んな人いますもん。確かに、譲ろうと試みた結果、「あなたに#%^*^#<?'?<<!!大体私は€$\#^%>|$?だから!!」みたいに強く断られ、オブセッション持ったり、アレルギーになっちゃう人もいるかもしれない。
だから誰もが一度は強い心を持って接したとしても暴力的な言葉に体を痛めつけられてその状況も予想して話しかけるのを億劫するかも。
声かけて地雷踏むぐらいなら。。。なんてきりがないことですね。
双方の思いやりが生じて初めて成立する感謝もあるし、もっと心を豊かにしたいですね。
なんて細い道横3列を対向から突進する勢いで進む子豚、ああ少し画の強いおばさまを筆頭に進む方々を目にして思いました。言われて気づく感性があるから、自分も気をつけないと:)
付和雷同、附和雷同
自分の意見を持っておらず或いは、持ってるが主張せず、人の意見に合わせる事。
附和=人の意見万歳!みたいな
雷同=雷が光ったら音がするように、誰かが言動したら同調する。
みたいな意味でした。
言葉としては使わずとも、読み書きでは使うかも。