そこで1人なんだと実感した。
私は幼少期の頃から友達に恵まれていた。
周りには笑顔にしてくれる人、悩みを聞いてくれる人、一緒にスポーツをやってくれる人。
とにかく色んな仲間がいた。
幸せな人生だ。
私は食べる事が好きで、小学生の頃は家族に玉子焼きをよく作ってた。
家族はみんなとは笑顔で喜んでくれる。
やっぱり幸せな人生だ。
思春期にはいると、新しい友達も含めたくさんいた。
友達は一緒に馬鹿をできる仲間達だ。
少し私は勇み足が過ぎる事もあるが、目をつむってくれるみんながいた。
うん、幸せだ。
思春期後半になれば
乗り物の好きな友達、高校で知り合った友達ができた。
所謂、地元ではない仲間達だ。そこに足を運ぶ回数が多くなると
地元の友達達とは少し疎遠になっていく。
しかし皆の思いを汲み取らない私は前へ前へ進んでいく。
幸せだった。
そして乗り物好きなみんなとは多少無理をしてでも、皆と離れたり、同じ時間をいないのが寂しいので、拠り所を求めてすがる思いでそこにいる事もあった。
依存なのか何か。
そんな私は
今を一人でいる。みんな大切なひとだと思ってたのに。いまを生きている。
周りには誰もいなくなってるような感覚。
幸せ、
なの?
その幸せの隣にある虚無感と孤独の喪失感が声を掛ける。
「最後はみんな1人だよ。」
なんて鮮明な夢を見た。珍しく。
何かの暗示かなぁ。
好きな人達に冷たくしちゃったり。
大切な人達と拗れちゃったり。
関係がギクシャクする前に自分自身が一歩引いてみる。
好きなのにギクシャクするのはほんのすこしばかり寂しい。
そうやって生きていく。