日常のヒントが答えになるって知ってる?
今日も生きてて、良いヒントをもらった。
別に照らし合わせる要素なくてもいいとも!そろそろ寂しくなる時期です。
人に話してて、自分への迷走から→困惑→熟考→発言→納得って自己暗示しました。
それが、
あまり無意識でしたことのない、つまり、故意的な自分の私欲で仲良くなろうとした人、近づこうと試みた結果、上手くいった試しがないこと。
なかなかいまのご時世って密な繋がりよりも手軽なお付き合いが蔓延ってるよね。
手持ちの画面に少ないタッチを施してあげれば誰がなにをやってるかをチェックできて、気になる人がいれば、記事をみて詳しい内容を見たりして、それで羨ましく思ったり、自分も同じ行動をとったり、言動をしたりして肉体的な自己満足で完結してみたり。好きなことや同じ趣味の枠で、同じコミュニティの仲間を見つけてその場をしのぐ。(直近の良い例がハロウィーンですよね。)
そこから広がる交際など発展もあるのかもしれない。(生憎、近年のハロウィーンを理解していないのです。)
けどあまり良い噂を周りからも聞かない。皆様もまた人を良いように利用して自分を楽しむためにその時間を使ってるんだもの。
と、思う。
「赤信号、皆で渡れば、怖くない」
実に意表をついた明快な喩えですよね。
何事も、一人では為し得ない事とか、出来ないことも周りも一緒になってやってれば、不思議とできる気がする。自分もみんなと同じ場所にたてば、置いていかれないし、楽しむ時間を共有して、自分の人生をより豊かに出来る気がする!
「一瞬一瞬を楽しめないのなら、生涯は楽しめないでしょ!」
あながち、間違ってはないけど難しいですね。
焼き肉食べたいってなって、カジュアルな焼き肉屋でひたすら、鶏肉とわかめスープを平らげる。
間違ってないんだけど、難しいですね。
若かりし頃、「煙草の吸い方教えて~!」
「お前吸うの?」
「皆も吸ってるから!」
「口に煙草加えて、吸って、口から離してもう一回吸えば良いだけ。」
「ごぇほっぐぅえほっ!まっず!」
彼とはあまり接点はなかった。
そんな彼もまた好奇心が強い何事もトライする反面、誰が自分の利益になるか。誰と繋がれば自分の私欲を満たせるか。
それを常に考えている頭の切れる人物であった。
彼がなにをしているか、それは知らない。
けど、自分自身の身の周りの知人で悩んでみると、私と付き合いをしてくれている友人との出会いのきっかけは覚えていない。学校などの重要な場所かもしれないけど、そのコアなきっかけは一切覚えていない。
会いたくても会えない子もいる。
けど、「この人といるとなんか楽しい」とか私欲をもとに動いて仲良くなれた人はあまりいない。
唯物論と同じで、その行動で何か意味を取得できて、自分の損得でやっていると考えるのと変わらない。
どこにいても変わらないと思う。