思い出から線上の足跡に変わった時
何気なく通ってた道。キラキラ輝いていたまだ朝の匂いがするとき、画面越しに家族とお話。気をとられた目の前にはちっちゃな、ちっちゃな石ころのような、たぶんゴミだと思う。歩いてたら蹴り飛ばしてた。気にしもなかったし、足跡もあまり感じなかったんだよね。体だけで歩いてたから。だんだん物事を平衡に見られなくなってきてそんな自分が情けないと思うと悲しくなるから、とりあえず眩しくて少し自分には強い日差しをあびて、クラップ!って心で叫んで地団駄踏んでるつもりでいた。雑居ビルのドアに反射して写った自分が少し汚い扉に妙にマッチしてて、生きてるって悲しく思えた。まあだからってここから変えるつもりもないんだけど変えたくないつもりもないから下に落ちてた物を蹴ってみたよ。今度も石じゃなかったなぁ。
寝てるときに夢に見るのは決まって幼少期にみてた、竹やぶのなかから大きな草履と、ろくろっくびが追いかけてくる夢。
ろくろっくびなんだけど、首は短いというかほぼなくて、目はひとつ。でもひとつ目小僧じゃ絶対ない。ろくろっくびって認識なんだ。何で絶対かは、自分が絶対って思うこの文字は未来から過去にかけて話しかけて、いまに繋がってるから間違いはないと思う。
そこからカーテンを開けて空を見ると昨日は精一杯生きられたんだなっておもう。どんよりした天気は少し心地が良い。
自分も空も明るかったら、誰がバランスをとるのかわからなくなっちゃうからね。
毎日はなかなかこれないけど、時々きてもずっと変わらないここの全部の意味でのあじが大好きだ。
何かしら欠如してるはずな私達が、嫌いなことまでカバーして、完璧をもとめるのは愚の骨頂だし、勿体ない。
好きなら来れば?ずっと変わらない。
このスタンスは自己解釈で失礼ですが、大好きなんです。もっともっと人でありたいとおもいます。そんなお店はずっとあってほしい。だから好きになって悲しくなって、怒って、恨んだりして。
まあそんな無くなったことより戻ってきた。というより、いまここにまたきたのが私達にとって最高の宝物。
また宜しくお願い致します。
D to T
MATCAFE
ちなみにNew Yorkの店とは契約を切って、そのつや消しなんて意味で
Mud coffeeから
Mat coffeeなんですって!
すごく落ち着くお気に入りのrelaxtime。