小室.kom.com

小さな日常に潜む怠惰と向き合うために。極端な暇に苛まれたとき、思い出してみてください。Hi there! I'm going to be uploading lots of info and pointless blog here.so If you need to get some rest,check my pages!stay tuned:)

半世紀の半世紀を生きてみて思ったこと

おはようございます。こんにちは。こんばんわ。快晴、曇天、豪雨、雷雨、突風。早朝、真っ昼間、真夜中から失礼します。

残り時間はおよそ30分で半世紀の半世紀の始まりの一日の終焉を迎える、大きな地球の小さな島国、その小さな島国からさらに小さな47都道府県の中の一区画の中から厳選した地域の中の中の中まで絞った小さな小さな小さぁなマンションの中の更に小さな部屋の中の部屋のトイレに腰をおとして、リラックスしていまを生きているのが、この目立ちもしない取り柄もたいして見当たらない、ごく普通にいきてきてる、一度見ただけでは顔が長かったのねなんて合いの手されながら流されるほどの面長が私、小室です。

どうも初めましてのかたも、初めましてではないかたも、宜しくお願い致します。

生まれたときの記憶はもちろん、幼少の頃の記憶は当時はまっていたかな?泥団子のように崩れてなくなってしまいました。

もともと裕福な地域で生まれ育った私の家庭は決して裕福といえる環境ではなかった。

周りの友人や知人は家庭教師や、塾、習い事などで多忙を送る毎日。そんな私はサッカーに明け暮れながらも家族と公園にいったりする毎日。言いたくはないが格差のようなものはもちろんあった。私がわがままで、あれが欲しい。これが欲しい。あれ買って。これ買って。友達に見せる顔と家族にしか見せない二面性の顔。それが自分であり、そんな自分に疲れてたり。しかし、友達の前では多少の見栄を張る部分もあったし、周りに比べて新しいものを買ってもらえないもどかしさは常に感じていた。「もし、大人になって家族ができたらなに不自由なく生活を送れるように頑張ろう。」なんて幼いながらにも意思を固めたこともいまでも覚えている。

このときから私は劣等感とともに生きており、特に同性との付き合いには卑下されるのが怖いのもあり、偽りの自分をもつようになった。少し見栄を張る自分がいた。本当の自分は奥底にしまう癖がついたのもこの時ぐらいだったから。だが、それわ家族のせいにしたりはもちろんしないし、嫌だと思った事は一度だってない。むしろ、ひとつ思うのは、私は家族が大好きで止まなかった。いまでも思うが、突出した反抗期というものは一切なく、帰宅時間に遅れることはあっても家族との時間を減らしたい。だとか、話したくもない、見たくもない。なんて事はいっさいなくむしろ、もう少し時間をとればよかったなんていまでも、たまにおもう。そうなんです、何だかんだいまの自分が形成されてきたのは、半世紀の半世紀色んなことがあったけどたくさんの出会いがあって、いっぱーい笑って、泣いて喜んで、感謝して人との繋がりを大切にしたいっておもうのは家族がいままでにコミュニケーションの取り方を教えてくれたところが私の原点です。

出会いは必然であり、過程なんだなあと思いました。その時は思わないけど。

もう四分で終わってまう、せやから、このぐだぐたの25のまえに皆様、乾杯。


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