dysonなめてた三秒前
きっと、この地球上には私達が知らない世界がたくさんあって、身近な幸せを噛み締める時間が人間味がなくなった生活をすればするほど価値とともに薄れていく気がします。
そもそも人間味の定義はなんぞや?なんて質問あげるなら、端からこんな愚問は浮かばないことなのは百も承知です。だがしかし、今日の天気に見舞われると、段々に連なるひまわり畑をみて「こんなにたくさんの黄色いひまわりに目を光らせた私は間違いなく来世のDNAにCarry over 間違いなし❤️」なんて夢と希望と愛をもって崖と崖の間の綱渡りをしてるような、落ちたらどこいくんだろう、みたいな会話をしていた彼女はいま何をしてルいるんだろう。きっと世界のありとあらゆる"絶景"といわれる各地を転々と回っているんではないか。私も是非とも一緒にウユニ湖には同行してみたかった。オーロラだとか、アルプス山脈に身を据える夢を忘れていないのは幼い頃に見た想像上のFantasyな世界がまさしく、実現していたからこの世のなかは果てしなく限りないと思った。こんな空虚な妄想には付き合ってられない。それは勝手である。とはいえ、今は2019年。まもなく2020を迎えようとしている。友人と半世紀の半世紀を迎えたことで三十路も近づいてきていて、人生のある種の節目、分岐点だよね。その時に何を思い浮かべる?なんて話で盛り上がった。
三十路かぁ。
ん?地道な努力と緻密な計算によって生み出された彼等はもうまもなく三十路を迎えようとしていた。
Dyson
吸引力の変わらないただひとつの掃除機、Dyson。ずっと憧憬する存在であった。不動の地位を保つ彼等は間違いなくvacuum界のLEGENDである。そんなのは今さらあげることではさらさらない。
ただ、もう一度見つめ直してほしい。幸せのベクトルは人それぞれである。例え十年以上前にその名を轟かせていたとしても、です。
僕にとってはNewheroが間違いなくそこにいるのです。
日々の日常での生活に着々と頭角を表した眼球では見えない汚れやダニ。彼等の仕事はへばりつくこと。そこに居続けるのだ。カーペットに存在する彼等はとくに猛威である。子供がおもちゃコーナーで母親に駄々をこねて泣きついているシーンを一回ぐらい見たことないでしょうか。ない人はもう少し体験してみてください。彼等の吸着力はそのぐらい強い。もちろんそんな彼等を従来の掃除機でお掃除し、コロコロ君で追い討ちをかけて、終いにはもっかい掃除機をかける。これが無意味であることは例としてあげた、今の子供を掃除機で吸うことぐらいあり得ないことである。
Dysonは違う。
目に見えない微細なゴミほどDysonは好んで吸引する。
slimを選んだ理由は単純に他のDysonに比べて良心的な値段。心にもゆとりをくれる。
それに自分の身の丈は越えないのがtheoryである。部屋も広くない。
そんな我が家もやっとDyson芸人の仲間入りになった。